writing#3 知るよりも感じる

 スピリチュアルや精神世界についての文章やブログはたくさんあるし、わたしも分類すればそのジャンルに入るのだと思うけれど、わたしはなるべく「説明」をしないように心がけている。感じたことをそのまま周波数として発信し、それを受け取る方が受け取りたい形で吸収するのが一番良いし、一番楽しいと思うから。わたしは小説が好きで、小説を読んでいる時何をしているのか考えてみると、決して情報や知識を得ているだけではないと感じる。読んでいる行為そのものがわたしを救い、導き、教えてくれている。わたしは文字を読んでいるようで、そのページの上に漂っている周波数を感じている。何が書かれているのかはとても大切だけれど、それだけではない。そこにはもしかしたら、作者の精神状態や健康状態、在り方が現れているのかもしれない。だからわたしは気に入った小説があるとその作者のことを知りたくなるし、その人が書いたものを全て読みたいと思う。空気が合うというか、まさに周波数が合っているのだと思う。それは歌手でも、映画でも、同じことかもしれない。

 

 わたしたちは知りたいのではなく感じたいのかもしれない。なぜなら、既に全てを知っているから。その知っていることを「感じる」ことが地球のプロセスにおいて重要な鍵かもしれないと最近思う。「書く」こともそれに当てはまる。全ての動詞はそれに当てはまる。何かを読んで知識を得たようで、それはもう既に知っていることを感じたに過ぎないのかもしれない。そこにはどんな違いがあるのだろうか。

 

 意味なんてないのかもしれない。生きることも、死ぬことも。意味を探せば無限に見つけることができるけれど、意味は無限に手放すこともできる。手放すことで勇気が出る瞬間もあれば、求めて求めて仕方がない時もある。その自分自身の波のようなもの、バイオリズムのようなものに沿って生活を続けていく。笑顔で書いた文章と、泣き顔で書いた文章は全く同じものでも周波数が変わる。つまり、わたしたちは何を読んでいるのだろうか。

 

 自分ではない自分が出てくるように感じる。しかしそれは既に知っていることだ。だから怖くない。だから怖くない。わたしはただそれを感じる。感じることに全力を尽くす。

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