おひさしぶり!35歳になりました♡
あっという間に月日が経ってしまいました。
わたしはふだん、noteで記事を書いています。はてなブログよりもまとまったものを、長文で載せているのでよかったら読んでみてね♡
昨日誕生日を迎えました。
思いつきで美容院に行って、近所をぶらぶらして、美味しいものをたくさん食べました。
誕生日前は苦しいことが多かったような気がするけれど、冥王星も水瓶座に移ったいま、わたしはなぜか絶好調。
心配事や嫌なことがなくなったわけではないけれど、その全てに対応できるような思考を身につける練習をしています。
今年ははてなブログに詩をたくさん書けるといいな。
わたしのリアルタイムの心のうごきが読めます
水の言葉
水面に揺れる星の電気信号が、何光年も離れているはずのわたしとあなたの間に何もないことを示している。ぴったりと隣にいるこの人との間にはたくさんのたくさんのものが挟まっているというのに。目の前の空気に触れることは、遠くの誰かと手をつないでいるのと同じだ。胸の中が振動することは、過去現在未来の天気がゆらめくことだ。赤ちゃんの笑い声がする。そのあったかい頭と小さな手。
ピンクの花を買うことにした。雪の降る場所に引っ越すことにした。君に手紙を書くことにした。聞こえなくなっているんだ。昔みたいに聞こえなくなっている。その代わりに胸の振動を頼りにしている。繊細に感じることが増えた。波打つ感情に涙を流すことが多くなった。わたしは遠くからこの舞台を眺めている。
後悔することばかりだけれど、なるべく笑っている。耐えられない別れを乗り越えてもなおこうして生きている。スローモーションの記憶が繰り返し上映される。言葉にするのがむずかしい。指の間から光がぽろぽろと流れ落ちる。その光が水面を揺らしてまた星との会話が始まった。「いつでも繋がれる」と星たちは言った。「いつでも聞いている」と星の奥の何かが言った。わたしの心が安心に包まれていることが何より大切だったのだ。
わたしはいつか聴いたメロディを思い出しながら口ずさむ。同時に、スパゲティの味や、喫茶店の窓から差し込むカラフルな光や、心待ちにした君からのメッセージが届いた赤いサインや、言葉にならなかった胸の中の揺らめきが全身に蘇ってくる。あの麻のシャツを買って帰ろう。坂道をスキップしよう。わたしが帰る場所はどこだろう。
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みうちゃんとの会話を詩に変換しました
愛の言葉の かたまりの 先の
割れ目のない音楽
境い目のわからない波の筋
その純粋にさわりたくて
何度も言葉を重ねた
重ねるほど それは 遠くなって
わたしは 重くなって
きみの眩しさを嫌いになるような予感に
考えるのをやめた
連なる電子音
雪を真似た弦
世界が まだ
なかったころみたいに きみを 愛していた
........あのころは
愛という言葉が有効だった
静寂の強い響き!
あなたたちが勝っているのです
いつだって
割れ目のないすべてが
わたしを包んでしまう
熱の言葉
夜中に小さいわたしが
のろのろと歩き回っている
体が熱くて
重たい
心は薄いピンク色に晴れて
夢を期待している
薄いピンク色は たぶん
貝殻のような光り方をする
1番きらいな言葉にたどりつきそうで
目をぎゅっとつぶった
冷めていく 体を
半分眠りながら見ている
わたしの夢は映画みたいなの
映画みたいなの
だからさ
一緒に見てもいいよ
ひさしぶりに詩が書けたから
きっとすぐ眠ってしまう
熱は言葉になった
空気と混ざる言葉が
こうして
めぐりはじめる
めぐりはじめる
体は壮大なゲーム。ゲーム。ゲーム。
わたしはいつもブログを書きたいなと思っている。
noteには、ある程度まとまった内容を書くようにしている。
最近は、このはてなブログに記事を書くのが好きだ。
のんびり、頭に浮かんだままをただ打ち込んでいく。
口語的になったり、デスマスを使ったり、ばらばらのまま書いていく。
✴︎
昨日からわたしは体のことを考えている。
月星座乙女座のわたしは、人や体、モノとの境界線をうまく引くことができない。
混ざり合うことに恐怖心を持っているから、例えば食べ物に対しても警戒心がある。
外から侵入したものによって自分の体に影響が出たらどうしようとか、誰かの影響で自分が変わってしまったらどうしようとか考える。
もちろん、頭ではそんなことはないとわかっている。
全て自分が決めたことが起こっている、シンプルにそれだけ。
だけど、わたしの脳は、体は、まだまだそこに追いついていない。
反射的に怖いと感じる。
そのわたし自身に、今は優しく寄り添っているしかないのだ。
わたしは子宮を温めること、布ナプキンを使うこと、女性が自分の体に関心を持って優しく会話をすることにとても興味がある。
自分しか、本当に自分の体に優しくしてあげることはできないから。
病気になるときも、元気なときも、死ぬときも、最後まで一緒にいてあげられるのは自分だけだ。
時々、わたしはそんな当たり前のことも忘れて体から離れようとする。
思い出しては謝って、感謝する。
反省はするけれど後悔はしない。
全て必要なプロセスで、そうやって忘れること、また思い出すことも許されているほどに、わたしたちは自由なのだ。
この宇宙の、体の仕組みにいつも驚いてしまう。
壮大なシミュレーションゲーム。
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見捨てないで。見捨てたくないよ。
今日はとっても涙が出た。
わたしがわたしの体を見捨てていたかもしれないって気づいたから。
たまに人に対して「わたしを見捨てないで」「あなたを見捨てたくない」と考えることがあって
それは、自分自身からの声だったんだ。
何年か前にも、こんな風に自分の体に謝った。
そこからコツコツ仲直りして、ずいぶんと体の声も聞こえるようになって、
自分を大切にするということがわかったような気がしていた。
でも、今日、それが腑に落ちてわかった。
頭だけではなく。
✴︎
「見捨てたりなんかしないのに。バカだね。」って、わたしが人に対して思うのは
こんな風に何にもわかっていないわたしなのにも関わらず、自分の体が言ってくれていることだった。
わたしはすぐに大切なことを忘れる。
体のことを面倒くさいって思ったり、
魂でテレパシーした方が楽だなって考えたりする。
「死ぬことは終わりじゃない。形を変えていくだけだ。」って考えたりするけれど、体にとってそれは終わりだ。
魂は死なない。
それは安心でもあるけれど、この体にとって死はやはり恐ろしい。
わたしの意識はそんなことをすっかり忘れて、体から離れていたのかもしれない。
それなのに、わたしの体はとてもやさしい。
いつでもここにいて、心臓を動かし、眠り、回復して、好きな場所に移動したり見たり聞いたりしてくれている。
それは、何よりもの「わたしは見捨てたりしないよ」の言葉だった。
説明されなくても、やさしい言葉にならなくても、ここでこうして生きているわたしがいることが、「わたしは絶対に見捨てられたりしない」という証明だった。
こうして言葉にしてしまえば当たり前のことのように聞こえるけれど、今日のわたしにはそれが大きな衝撃だった。
わたしはもう一度この体に入って、全部一緒に、心も、体も、重いも、軽いも、全部一緒に連れていきたいと思った。
✴︎
太陽が魚座に入った。
わたしの夢の記録は不思議に形を変えていて、目が覚めてからも夢の世界に埋もれているみたい。
その場所からわたしは言葉を使う。
その言葉を慎重に、世界にとってポジティブに、扱ってみたいと思う。
本当の風になるには輪郭だけの幽霊ではいけない。
ちゃんと中身が詰まった存在として、体と心が一致していなくてはいけない。
世界がひっくり返る衝撃が続く。
嬉しくて、怖くて、情けなくて、強くて、弱い。
振り返ればわたしはずいぶん遠くに来たようだ。
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