書くこと。言葉を迎えにいくこと。
ミヒャエルエンデの『ものがたりの余白』を読みました。
全部のページにラインマーカーしちゃうくらい最高の本でした。
本を書くというのは、言葉でひとつの現実をつくることです。そして、この言葉たちはある意味で自律性を持っている。言葉は(作家が)自分で作るわけじゃない。それはすでにそこにあるものです。それに、言葉は、現れるものでもある。そして、つかみかたが乱暴でなければないほど、そっとやさしくあればあるほど、現れるものが多くなるし、言語がおのずから提供してくれるものも多くなります。わたしはそれを頼りにすることがよくあるのです。わたしの旅には大雑把な地図があって、残りはわたしに向かって生じるのだし、どこかから与えられるわけであり、わたしに起こるのです。
(中略)
わたしはよく言うのですが、わたしが書く行為は冒険のようなものだって。 その冒険がわたしをどこへ連れてゆき、終わりがどうなるのか、わたし自身さえ知らない冒険です。だから、どの本を書いた後もわたし自身がちがう人間になりました。わたしの人生は実際、わたしが書いた本を節として区切ることができる。本を執筆することがわたしを変えるからです。
(p.22-23)
物語が「起こる」ことについて、わたしはもうずっと考えていて
それを証明するような人や、言葉や、本に出会っています。
アカシックリーディングを学んだのもその物語を迎えに行きたいと思ったからで、
実際、宇宙まで物語を迎えにいき、抱っこして地球に連れてくることができました。
そうやって書いたのが『透明に鳴らすさよなら』という本であり、
わたしが日々書いている詩や言葉たちです。
そういうことをわたしは続けていきたいなあ。
今わたしが書いている小説は、
間に不思議な文章や詩のようなものや、どこかから突然突っ込まれたようなセリフが入っています。
これがなんなのかわたしにもわからなくて
どんな風にお話が進んでいくのか、
楽しみであり怖くもあります。
自分から離れた言葉たちを表すことが正しいのかわからないし
でもドキドキして
心配になったり、楽しくなったり、
創作することはとても情緒不安定で
新しい自分を覗き見しては観察していくようで
次は何が出てくるのかって怖くなるような作業です。
でも楽しいし
それをするしかないって感じ。
わたしのリアルタイムの心のうごきが読めます