「ワンネス」から離れた「分離」であそぶ

新月でした。

 

 

新月、満月の日は、きまって頭に色んなものが放り込まれる。

 

苦しいし眠れないし、出したいのに言葉にならない。

 

お腹が痛い。

 

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さて、ご存知のようにわたしはいまは短歌にハマっています。

 

たくさん読んでみて、短歌はぎゅっとつまって、自己愛とか自意識とか、そういうものが詩や小説よりも濃く入ってるような気がしました。

 

背景や気持ちを31文字にぎゅっと圧縮したり、想像させることで文字数以上の情報が入ってきます。

 

それは言葉に限らず、リズムや音でもあらわせる。

 

「怖さ」「もろさ」「狂気」が体感をもって上手に表現され、「しあわせ」や「恋愛」は小説よりもあたたかく繊細に、きらきらした宝物みたいに書かれてる。

 

 

はっと気がつく世界とのズレとか。

 

その映像がうかぶ不思議さとか。

 

「自分」がフォーカスされたような感覚とか。

 

そういうすべてを考えたとき、短歌は強すぎる「自意識」や「承認欲求」が武器になる分野だと思った。

 

でもだからこそ、そういう人たちが書くからこそ、「寂しさ」がよりくっきり強調されて、それに触れた読者は気持ちがいいくらい心を動かされて病みつきになる。

 

分離による「自分」と「他人」がほかの芸術よりもはっきり意識されているような。

 

わたしたちは「ワンネス」とか「統合」とかが大切という認識をもってスピリチュアルを見るけど、人間のレベルでの「分離」を芸術という形で昇華させる面白い方法だなあと発見。

 

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あとは、みんな意外と「狂気」を身近に持っているんだと思ってほっとしました。

 

みんなが認めたらもはやそれは「狂気」と呼べないくらい、普通の感情になっちゃうのかな。

 

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穂村弘の作品集で好きだった短歌を紹介するね!

 

 

 

ハロー夜。ハロー静かな霜柱。ハローカップヌードルの海老たち。


穂村弘 『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』(2001)

 

 

 

これね、神さま宇宙目線だと思ったのです。

 

夜に明かりがついたアパートの窓。

 

中の台所ではカップヌードルがあけられて海老たちがみえる。

 

外には霜柱。

 

カメラが引いていっていろんなものが平面に映る、地球を見ている。

 

夜の静かさと、人間から飛び出した広い視線が見えて、「たった31文字で!」って驚く。

 

でもこれはわたしの

 

「正確に説明するにはきちんとした文章でないといけない。長くないと伝わらない」

 

っていう思い込みかもね。

 

短歌を作る人からしたら、短いからこそ伝わるのだとか思っているのだろうし。

 

 

 

こんなにもふたりで空を見上げてる 生きてることがおいのりになる

穂村弘 『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』(2001)

 

 

これもいいよね!

 

「生きてることがおいのりになる」

 

たくさん意味を含んでいて、その中には寂しさや悲しさもあるけど、最後に残る後味はポジティブな感じ。

 

 

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彼の短歌やエッセイには、よく「パラレルワールド」という言葉がでてきます。

 

一瞬で違う世界にくる感覚、時空を超えるイメージ。

 

いろんな表現で、あ、この人は本当の自分や宇宙の感覚を知っている人だ、と思うのです。

 

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わたしがそう思っているもうひとりが宮沢賢治

 

 

こちらの対談集でもこんな風に語られていました。

 

宮沢賢治は唯一の自給自足でエネルギーが出せる作家」

 

というのはずっとわたしが思ってたことで、言語化されてかなりスッキリ。

 

どこからきたのかわからないお話が、ぽんっと出てきて本になってる。

 

銀河鉄道の夜なんて、そのまんまよね。

 

宮沢賢治童話村というのがあるらしく、そこに行ってみたすぎて新月のお願いにしました!