どこかの本の1ページ。
軽く一杯赤ワインでも飲んでから帰ろうと思って立ち寄ったカフェで、わたしは思いの外長い時間を過ごしてしまった。
途中からその店でギターの演奏があって、なんとなく席を立つタイミングがわからなくなったから。
じっくりと過ごすうち、わたしは角の席に座るふわふわした髪の毛の女性に気がついた。
彼女はこんな時間にモンブランとコーヒー。
ギターの音に耳をすませて、心地好さそうに座っている。
アラビア風の、エジプト風の、初めて聴くような音色が響くと、わたしは昼間の会話を思い出した。
「あなたがいたから不幸だった」
全部を押し付けられ床が抜けるような、後悔やショックや寂しさがすべて含まれたその言葉に、かえってしずかに受け答えをする自分がまた不思議で、自分がそのシーンをはたから見ているような感覚のまま時間がすすんだ。
それは親からの言葉であり妻からの言葉であり、子供からの言葉であった。
わたしは自覚がないまま人を傷つけるということがずっと怖かった。
怖がるあまりそれは実行され、同じように自分を傷つけた。
しかしそれが癒えていく過程はステキなものだったので、毎回自作自演のように誰かを傷つけては癒されて、少しずつ階段を登っている気分になった。
「物語の薬局をご存知?」
突然の言葉に顔をあげると、角の席の女が目の前に座りこちらを見ている。
「え、なんですって?」
わたしは色々なことに驚いて、やっと声をだした。
「物語の薬局。裏のスーパーの少し先にある、古いお店です。」
物語の薬局?
聞いたことがないし、このシチュエーションがすでに物語のようで奇妙である。
「知りませんが、それはお店かなにかですか?」
「あら、あなたなら知っていると思ったのに。癒されることに詳しいでしょう?」
癒されることに詳しいとはどういうことか。
日本語もおかしい気がするし、初対面の女性に言われるセリフではないと思うのだが、このさい奇妙さについては無視して話を進めてみようという気になってきた。
物語の薬局なんてなんだか面白そうだし、長年この街に住んでいるが一度も聞いたことがない。