幸せを諦める。
最近は、一周回ってもう一度、マドモアゼル愛さんの月欠損説にはまっています。笑
賛否両論、占星術に詳しい方ほど抵抗が出やすい月欠損論ですが、占星術家でも専門家でもないわたしはとっても面白く拝見し、月が作り出す幻想について考えているところです。
わたしは基本的に、この世界は虚の世界であり、夢の世界であり、まやかしの世界であると思っています。
これはスピリチュアルな情報に触れるずっと前、わたしが子どもの頃から思っていたことです。
地球は天国だとか、美しい世界だとか、素晴らしい場所だとか、そういう意見も大賛成です。
しかし、わたしはベースとして「ここは地獄なんだ」と思っている方が色々とつじつまが合うような気がするし、気が楽になるのです。
幸せにならなくていい。この状況を諦める。世界を諦める。
こういうスタンスの方がなぜか力が出てくるし、楽しい気持ちになってくる。
これはもしかしたらわたしだけかもしれませんが、個人的にはこれが月から解放された状態なのではないかと思っています。
ここは素晴らしい。幸せを目指して精一杯やっていこう。
これこそまやかしで、そういう世界を信じている限り、わたしたちは幸せを目指し続けてしまう。
誰かが決めた夢を生きることや、目指さなければならなかった幸せについて考えてみると、その全てを手放し諦めたとき、わたしたちは自由になるのでは?という気がしてきます。
幸せをめざして不幸でいる。
幸せになることを諦めてしまえば、少なくとも不幸にはなっていない。
こんなことをマドモアゼル愛さんが話していました。
これは、決してネガティブなことではないと思いました。
幸せを諦めることは全然ネガティブなことではありません。
そのリラックスが心地よくて、また少しずつ新しいわたしにシフトしています。
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