writing #1 孤独

 文章を書くのは非常に根気がいる作業だ。ただ、孤独ではない。夜中の1時をすぎてミントティーを淹れるその湯気をぼんやりと見つめながら、そんなことを考えている。詩のような断片的なものや「降りてくる」言葉と違い、きちんとした文章を書くためにはまず姿勢を正して座らなければならない。そして何度も読み直す。文章が長くなればなるほど時間がかかり、最終的になにが言いたかったのかさえわからないということもしばしばある。無意識のままに指や鼻先が冷たくなっても、肩と腰が固まってしまっても、目がショボショボしても、飲み物を飲むことを忘れて呼吸が乾いていても、ほんの数行付け足しては読み返し、終わりまで読んではデリートキーを押す。文字を追加する。そんなことを考えるだけで、パソコンから足が遠のいてしまう。頭の中にある膨大な雲を見て見ぬふりをする。丁寧に、根気よく書いていけば雲は目に見える雨になり、嵐を起こす。やがて雨が止んであたたかい陽がさせば、「本当に良かった」という気持ちがわたしを包み込む。文章を書くというのはそんな作業である。

 

 わたしはブログでは初めて、こうして一般的なフォーマットでこの文章を書く。段落をあけ、改行をせず書き連ねる。お気付きの方もいるかもしれないが、普段の書き方とこの書き方では脳への入り方が異なる。文法、国語、文章の決まりにはいつも必ず意味があって、何らかの目的があって、そのようになっている。これは根気がいる作業だ。だけれど孤独ではない。

 

 孤独について話をしようとすると、時間の震えが胸の奥にぶつかって涙が出そうになる。さみしいからでも悲しいからでもなく、ただ体がそう反応する。その震えはわたし自身も覚えていない記憶の中から水色の結晶をひっぱりだして、目の前に、机の上に、雑多にばらまいては何事もなかったように立ち去ってゆく。その度にわたしは、深く仕舞い込んですっかり忘れてしまっていたその結晶の透き通る光を手で撫でる。それがわたしの孤独だ。

 

 文章を書くことはわたしにとって孤独ではない。ただ、ひとりぼっちだ。体はひとりぼっちだ。わたしの目の前と、体の後ろには、何人もの意識がレイヤーになり重なっている。それらを通して最終的に、この指がキーボードを打っている。その何人かは着物を着たおじいさんで、パソコンよりもペンを使いたがることもある。何層にもなる意識の仲間と繋がり声をだしているときは、背中が汗ばんで熱い。厄介さも難しさも増して、どんどん賑やかになっていく。文章を書くことと孤独であることは、遠くかけ離れている。むしろ、文章を書いている間は自分自身と強固に繋がり孤独はどこかへ行ってしまう。そしてベッドに入れば、ゆっくりと孤独と話をするのだ。

 

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