もっと望んでいい
わたしはよく「螺旋」の話をします。
本当に、同じことを繰り返しているようでそれは螺旋を登った場所の景色なのです。
大きな波と小さな波があって、それぞれを繰り返しながら、重なり合いながら、
新しい自分に出会っていきます。
わたしはインスピレーションとかスピリチュアルにかなり偏っている自覚があるのですが、だからこそ、体のこと、グラウンディングすること、地に足をつけること、地球で暮らすことについて日々意識しながら生きるようにしています。
去年はそんなグラウンディング強化期間だったようで、具現化やいろんなことがだいぶわかってきたし、実感できるようになってきました。
本当に世界を創っているということ。
本当に自分自身の在り方次第だということ。
✴︎
先日、原点に戻るような出来事があってまた改めて現実創造やチャンネル合わせについて学んでいます。
「引き寄せの法則」と言われるようなこと。
その言葉の違和感をみんなも感じて、いろいろな捉えられ方をしてきた概念もわかって、
それで、一周回って、やっぱり呼吸だ!リラックスだ!波動だ!という場所にやってきました。笑
望みを強くイメージすること
ワクワクしていること
頭で考えられないほど大きなものを望んでいいということ
その辺りを改めて自分自身に許可し、もっと楽でいいよ、もっと面白くていいよ、もっと自分の声を聞いていいよと言われているような気がします。
本当に人間は行ったり来たり。
いきすぎると調整が入って、また同じ距離だけ反対方向へ揺さぶられます。
その振り幅が大きいほどつらい。
だけど、その振り幅が大きいということは、望みに対する許可も、自分自身への許容も大きくなっているということに今書いていて気がつきました。
ちゃんと大きくなっているから、その変化にも敏感になる。
反対側が強く現れる。
鏡の反映度と強度がレベルアップしているだけでした。
どんどん楽になっていく一方で、どんどん豊かに感じられるようになっていく。
寂しさとか悲しみとかであっても、喜びと同じだけ豊かに大きく感じられる。
ゼロに立つことも大切だけれど、この感情の揺れ動きも面白い。
もっと望んでいい。
もっと描いていい。
もっと許していい。
もっと受け取っていい。
かけがえのない自分自身と一緒に一緒に歩いてきたからね。
今度は一緒に夢を描いて、望んで、それを現実に現していく。
好きなキャラのタイプは自分自身の在り方
この前タロットリーディングを受けてくれた方とお話したこと。
いつもいろんなコミュニティに参加するけれど、そのグループが育ってくると違和感を感じたりつまらなさを感じたり、アラが目についたりしてしまうとのことで色々とカードに聞いてみました。
そこで出てきたのはわたし自身とも共通する内容。
例えば物語のキャラクターでいえば影の立役者みたいな存在やポジションが好きじゃないですか?とたずねるとそういうキャラクターはかっこいいと思うとのこと。
わたしもいつも好きになるのはそういうキャラです。
実は裏ですごくがんばっているとか、この人の活躍があったから世界が平和になったんだけどあんまり評価はされていない人とか、役割だけ終えてさっさと旅に出てしまう人とか。
そういうポジションってかっこいいよねーと盛り上がり、ということはつまり、わたし自身、あなた自身もそういう役割を担いたいのでは?と続きます。
漫画でも小説でも、好きになるのは自分と似ていたり、「こうなりたいな」というタイプが多いように思います。
つまりデータです。
そんな役回りなのにも関わらず、みんなに評価されようとしたり、目に見えて活躍しようとしたりするとズレが出てしまうのかも。
今いるコミュニティではすでに彼女の役割は終わっている。
次にいくべき、救うべき世界がある。
その未来から、心の違和感や「嫌な出来事」のセンサーが「こっちじゃないよ!あっちだよ!」と伝えてくれています。
でもみんなから評価されないとか、誰の目にも止まらないってさみしいし悲しいよね。
でも大丈夫!
必ず、読者が見ているのです!
その読者とは、生まれてから死ぬまであなたをみているあなた自身。
宇宙の映画館に座って、ポップコーンを食べながら楽しくあなたの人生映画を鑑賞しています。
「わーかっこいー!」
「ここで旅に出ちゃうのいかしてるー!」
「わたしだけは知ってるよ!大丈夫!」
なんならさ、むしろ「この良さが万人にわかってたまるか!」とか思ってない?笑
知る人ぞ知る感じが好きだったりしない?
もし誰かの評価が欲しくなったり不安があるなら、まずその人(映画館にいる自分)を信頼できるようになるといい。
つまりアプローチするとしたら他人ではなく読者(自分自身)に対して。
こんな映画だったら面白いかな?
こんなキャラクターだったら嬉しいかな?
わたしのことが一番のお気にいりキャラかな?
そんな風に意識して人生の選択をする。
それは自分自身の深いニーズを捉える。
(自分自身のきゅんポイントだからよくわかる、みたいな感じ)
そして面白いことに、自分が反映した目に見える世界にも、自分自身のような読者を産むというパラドックスが存在する。
世界を創っているのは自分自身なので
自分の需要にこたえればこたえるほど
同じような他人を世界に生み出すという仕組みです。
困ったら自分にきく。
映画館の自分をイメージしてもいいし、
自分の体の中の小さな自分をイメージしてもいいし、
自分の中に他者がいる想定でもいい。
その人たちのニーズをきき、応えるような行動をしてみてね♡
ネットで知り合った知らない人なのに、なぜかたましいのつながりを感じるような
「絶対この人知ってるなー」という感覚の人たちが周りに集まってきます。
正確には集まってくるのではなく
あなたが反映されて生み出されているのです。
わたしのリアルタイムの心のうごきが読めます
『トキの物語』(仮題)が完成しましたー!わー!
昨日、ずっと書いていた小説トキの物語が完成しました!
これから足したり削ったりはするんだけど、ひとまず全てのシーンが揃った!という感覚があったので記録しておきます。
昨日の夜中に書いていたんだけど、その数時間前にふと「あ、物語が完成した」というはっきりとした体感があったのです。
そのあとにひとつのシーンが浮かんできたので、それを書き足そうと久しぶりにデータを開きました。
読み返していくと、「ん?ほとんど完成してるじゃん?」となって、わたしが思っていたものと実際にわたしが書き溜めたものが全然違っているという印象でした。
感覚では、もっともっと書き足す内容があって、出てくる人物がいて、説明すべきシーンがあったのに。
実際に読んでみると、各ピースがちゃんとそれぞれの場所にぴったりと居心地よさそうに座っています。
わたしは閃いたシーンを書き足し「これでひとまず完成だ」と、数時間前に体感したあの感じをなぞりました。
先ほどブログで振り返ってみたら、この物語を書き始めたのは実に2年半前!!!
(2019年9月13日と記録がありました。ブログって便利!)
昨夜の記録として書いておいたメモを載せます。
書いたのはたったひとつの短い章だったけど、書いてみるとこのお話は、登場人物たちは、そのシーンを待っていたんだ、と思った。
面白いことに、そのシーンはわたしが現実に体験をしないと書けなかったもので、物語はそのたったひとつのパズルのピースを待ってくれていた。
ひさしぶりに読み返すと、わたしが意識していたストーリーと意味がひっくり返っている。
そんな風に、もしかしたら、物語の方がわたしの現実を動かしたのかもしれない。
予言みたいにこの小説を書いて、またなぞるような体験を通して続きを書いた。
これがわたしがやりたかったことだ。
✴︎
物語の中を生きて、わたしの人生と、現実と、物語が反応し合いながらそのシーンを作る。
どちらが創作で、どちらが本当なのかわからない、混ざり合った世界。
それは現実創造そのもので、書いている中でわたしの人生がどんどん面白くパワフルになっていく。
そのエネルギーを言葉にこめ、文字のひとつひとつに転写させて、みんなにもおすそ分けができる本を作りたいという気持ちです。
今回は、もともとわかっていたように詩集と物語の本の2冊セットになる予定。
一番最初の読者はみうちゃんです!(無論!)
また製本に動き出したら、愛おしい作品を世界に生み出せる。
しあわせです。
しあわせです。
心からありがとう。
言葉になる前の「なにか」に出会う水星文藝会
言葉にする前の「なにか」がある。
言葉に出来ないだけでそれがあると自覚している人もいれば、
言葉に出来ないからそれが「ない」のだと勘違いしている人もいる。
それを代わりに発見し言語化してあげると瞳が輝く。
つまり、他人に言語化されるのも有効。
癒しなのかなんなのかはまだわからないけど、すっきりしたりほっとしたりするよね。
✴︎
水星文藝会は、自分の中に「それ」があったんだと気づく機会でもある。
そういう意味で自分の才能に気づきやすくなるので、自分を好きになることにもつながる。
言葉にならない、つまり伝えることができない=だからわたしはダメだ
となっている人が多いような気がして、「それはちがうよ!」と大声で言っているわたしです。
素晴らしいことが自分の中にあって、まずはそれがあるのだとしっかり自覚する。
それをどんな表現方法で、どんな声で、どんな言葉で人にも見えるようにするのかゆっくり考えてみたらいい。
その手前で諦めている人が多いように見受けられるので、
伝えることは必ずしも言葉でなくて例えば音楽や絵でもいいし、特定の人だけに伝わるテレパシーでもいいし、とにかくゆるく範囲を広げてみてください。
自分の中にある可愛くて美しいものを、視覚ではなくこころで見つめる。
それができるだけでまず、自分自身のことが好きになります。
それを伝えることができれば、仲間を作ることができます。
言葉はそういう便利なツールです。
これは逆もできて、言葉さえうまければ本質やこころがなくてもひとまず誇張して伝えることはできてしまいます。
わたしたちは目や耳だけで情報をキャッチしているわけではないため、こころでその違和感を感じます。
しかし、睡眠不足、栄養不足、運動不足、愛情が不足してこころが正常に動いていないと、目で見たもの耳で聞いたことをそのまま信じることができるようになります。
だから自分を整えることが一番大切だと思うのです。
✴︎
星読みのゆかりさんと一緒に開催している水星文藝会は、ご自身のホロスコープから主に
太陽星座
月星座
水星星座
金星星座
そして水星が入っているハウス、またコミュニケーションの3ハウス、クリエイションの5ハウスをチェックしながら、一緒に自分だけの文章や伝え方を発見するワークショップです。
何度か会を重ね、いろんなパターンのデータも取れてきました。
わたしのように太陽星座と水星星座が同じ場合のスムーズさと落とし穴についても発見がありました。
前回それをお伝えしたら、とても納得していただけて嬉しかった!
水星文藝会はzoomにて少人数制で開催しております。
参加費は12,000円
ホロスコープリーディングとアカシックリーディングを使い、オリジナルのワークシートもプレゼントしているのでお得です♡
ご興味ある方はインスタのDMかお問い合わせ欄からどうぞ。
わたしは、文章を書くことがヒーリングになり楽しいことになればいいなあと望んでいます。
水星文藝会がそのヒントになったらしあわせです。
わたしのリアルタイムの心のうごきが読めます
無限の疑問を与えてくれる本『ラインズ 線の文化史』
こんにちは♡
ページをめくる度に付箋がいっぱいになってしまい、読んでる途中で付箋が足りなくなって買いに行った本です!笑
ティム・インゴルド著 『ラインズ 線の文化史』
散歩も、旅も、物語も、織ることも、観察も、すべて線。
西洋で長らく、音楽は言語芸術として理解されていた。
それがいつから、どこから、speechとsongが区別されるようになったのか。
という問いから始まりくるくると線が飛び交い旅するような本です。
またノートにまとめたら改めて書いていきたいと思いますが、「不思議さ」やなんとなくの「違和感」を発端に謎を解き明かしていくことが好きな人にはおすすめしたい本でした。
わたしがたどり着いていないだけかもしれないけど、この本の中に具体的な「答え」はないように見えます。
しかし、わたしが思いを巡らし、今持っている知識やトピックの点とつなぎ合わせて、それこそ【線】として考えてみるときに、この本はナンバーワンの実力を発揮するような気がします。
そのプロセス、道すがらにたくさんの宝物が落ちていて、それを拾い、また他人と一緒に議論をすることで新しい道が開いていく。
そんな可能性にワクワクしてもっともっと考えてみたくなる!
知的好奇心を満たしたり、自分自身のインスピレーションと対話をしたりするときに素敵なお供になってくれます。
それも、本当に、線(ライン)であります!
✴︎
例えば、
文字を書くことと描くこと、ペンを使うのとタイプライター、コンピュータで書くのではその精神の現れにどんな違いがあるのかというトピックも面白いと思いました。
中国の書家の話や羽ペンと金属ペンの違い、筆跡にその人の感情が現れるということ。
今、コンピューターのキーボードを使って文章を書いていることについて、それにより以前の「書く」とはどんな風に変化しているのか。
今のわたしは今この時のツールを当たり前に使うことしかできないし、過去に遡って体験があるとすれば鉛筆やペンで文字を書いていたことくらいで、もっと遡ることはできません。
ですが、その違いを想像することができると、今のわたしの能力や技術がさらに広がる可能性があります。
道具を使わないのが「書く」ことであり、道具を使うのが「描く」こと。
✴︎
ずっと前からパウルクレーの絵が音楽っぽいと感じていたのですが、それについても触れられていました。
この辺はもう一度読み直してみんなに説明できるようになりたいなーと思っています。
最後に素敵だった言葉を引用。
【重要なのは終着点などではない。それは人生と同じだ。面白いことはすべて、道の途中で起こる。あなたがどこにいようと、そこからどこかもっと先に行けるのだから。】
やっぱり思考も、あゆみも、人生も、線になっている。
その道の途中で、プロセスの途中で、誰かに出会って何かに気づいて、また道を進んでいく。
わたしのリアルタイムの心のうごきが読めます
さわるとふれる。言葉に頼らないがわかる本『手の倫理』
こんにちは♡
今年に入ってからたくさんの素敵な本に出会っています。
今日紹介する本は『手の倫理』伊藤亜紗著
「さわる」と「ふれる」について考えられた本です。
一方的に対象を(ものとして)確認する「触る」
相互的に交流しながら相手と自分を確認する「ふれる」
英語ではどちらもtouchですが、日本語ではここにはっきりと区別がありますね。
わたしはどうしても【言葉】を基準に情報を集めてしまう3ハウス多め女子なので、こういう出発点だととても興味を持って読み進めることができます。
✴︎
【言い過ぎない】 【言葉に頼りすぎない】 がわかったエピソードがあります。
目が見えない人とロープをつかい伴走するとき、わざわざ言わなくてもいい程度のカーブを言葉で知らされるのは逆にストレスがかかるそう。
それは言葉が、共鳴に対する「切断」だから。
「二人で一つ」の共鳴を脱して「個」のスイッチを入れることだから。
(170p)
確かに共鳴状態で混ざり合っているとき、余計な言葉や説明は邪魔になります。
今まさにわたしはこれを実践しているところで、言葉なしにどのくらい信頼を深められるか、言葉以外のコミュニケーションにどのくらい重きを置けるかにチャレンジ中。
すると、自分自身の中で「触覚」の優先順位が上がってきます。
言葉に頼らないという状態は、それ以外の何か、しかも視覚や聴覚ではない部分が重要になります。
なぜなら、触覚は表面だけではなくその内部(この本では「距離ゼロ」どころか「距離マイナス」という表現をしていました)を感じるセンスであるからです。
目で見る、耳で聴くことは距離が離れていてもできますが、近づかなければ触ることはできません。そして実際に触ってみると、それは表面に触れているだけではなく、その内側まで自分が入り込んでいるような感覚になるというのは、誰でも体験したことがあるでしょう。
星の話を絡めれば、わたしは7ハウス(パートナーシップ)に木星おうし座があるので、特に一対一のコミュニケーションの中で五感を使い理解することが自分自身を拡大させてくれる重要なカギであると認識しています。
言葉に頼りがちなわたしがただ感じることでコミュニケーションをとってみる、その魅力的で興味深いプロセスはわたしをまた一歩押し上げる追い風になります。
「ふれる」は相互的でやさしい。
信頼すること、あずけることを教えてくれます。
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面白かったのは、介助などの場面では、その向こう側に行かなくてはならないときもあるという点でした。
「ふれる」と「さわる」を行き来しながら、そこに必ず人間の相手が存在している。
「倫理」というだけあって、相手への態度や在り方を無限に考えられる素敵な本でした。
わたしのリアルタイムの心のうごきが読めます
今年もポエティックにいきましょう♡
こんにちは♡
新しい年をいかがお過ごしですか?
わたしはすでにたくさんのことを感じ、発見し、人生を使った実験を楽しんでいます。
素敵な本にも出会いました。
今年は読んだ本や感じたこと、わかったことを人に説明できるようになりたいなと思っているので、少しずつまとめてブログにも書いていきたいと思います。
本を読み「わー!なるほどなー!」と自分の中では納得していることが、いざ伝えようとするとそこまで深く理解できていなかったことに気がつきます。
よかった本はもう一度読み返してノートにまとめ直し、人に話してみる。
そうするとそれが自分のネタになっていき、頭の中で繋がり合いながら新しいヒントや疑問を生み出す。
それについて調べるとまた知のギフトが受け取れる。
そんな流れを感じて、少し時間はかかるけれど丁寧に本を読むようになりました。
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今年もアカシックリーディングのセッション、またゆかりさんとのコラボ企画の水星文藝会などなど、たくさんの方とお会いできる機会があることを願っています。
わたしがわたしの才能を使い、世界の役に立っていく。
その中で出会う人たちとの化学反応で、少しずつ世界が面白さを増していく。
そんな関わり方ができたらいいなあと考えています。
ロマンチックな関係よりもポエティックな関係!
より特別で瞬間的、そして創造的!
わたしのリアルタイムの心のうごきが読めます