決断のために必要だったこと。
演奏者全員耳のきこえない楽団があったらとてもすばらしいだろうな。
とその男は煙草をふかしながら言った。
音、とくに音楽っていうのは目に見えるエネルギーだから、
当たり前に男は言う。
よりきれいに音が見えるその楽団では高く美しい色の合奏がされるちにがいない。ああそんな楽団があったらすぐにでもチケットを買うのに。
ぼくは疑わしい頭をかかえ、隣の男の言うことに耳を傾ける。もうコーヒーが残りわずかだ。
むかし、
男はつづける。
おれは楽団に入ってクラリネットを吹いてた。
結構大きな楽団でさ、外国なんかで演奏したりもしてたんだよ。
なかなかいい楽団だったね。なにってヴァイオリンがいいんだ。
しかも全員ね。楽団はヴァイオリンできまる。
指揮者でしょ、と思いながらぼくは話をきいた。
それである日、海の向こうの街で演奏会があった。
おれははりきったね。
そこはさ、驚くなよ。
耳の不自由な人たちの施設だった。
ほとんどは生まれつき、ごくまれに後天的に聞こえなくなった人たちがいたな。
施設の会長がかわったやつで、とにかく演奏してほしいっていうんだ。
俺たちの楽団はその時期、社会貢献やらボランティアやら、とにかく世間からこいつらいいことやってるなって目でみられるようなことをたくさんやってた。
だからあっさり引き受けたのさ。
相手が聞こえようが聞こえまいがそんなの関係ない。
世界はイメージでできてる。だろ?
だけどさ、おれはためしたかった。
どんな演奏会になるのか。
耳が聞こえなくたって音楽を感じる方法はあるんじゃないかって、おれひそかに思ってたんだ。
演奏がはじまると、俺たちはみんな驚いたよ。
観客の全員が音楽にあわせてピッタリのタイミングで手拍子してた。
耳の不自由な連中がだよ。
信じられるかい?
おれ、ああ、俺たちだまされてるんだ。って思った。
施設の会長も観客も、うちのリーダーだってグルかもしれない。
こんな悪ふざけ、いいかげんにしてくれって。
おれは演奏をやめた。
楽団員たちも順に手をとめて、ひそひそ話しはじめた。
すると観客は手拍子をやめ、みな残念そうな顔をした。
声をあげるものはひとりもいない。
するとヴァイオリンのひとりが演奏を再開した。
観客はみんなヴァイオリンの方をみた。
みんな次第に演奏にもどっていき、おれも参加した。
悪ふざけのなにが悪い?聞いてくれる人がいたら俺たちは精一杯演奏しなくちゃならない。
そうだ。演奏だ。って思った。
ぼくは隣の男が懸命に話すこのストーリーに夢中になっていた。
残ったコーヒーはすっかり冷えた。
ぼくはぎゅっと片手を握りしめ耳をそば立てていた。
音にはさ、エネルギーがあるんだって。
男はもう一度言った。
そのエネルギーにはきれいな色がついてる。
ちょうど雪国のオーロラみたいなさ。
彼らにはそれが見えるんだ。
きれいな演奏をすればするほど、それは大きくてきらきらした光になる。
その話をきいて、おれ涙がでた。
その光をみたいと思ったらなんか悔しくて、泣けてきちまった。
ぼくの胸はぎゅっとなった。
喫茶店をでるとぼくは大きく伸びをして、そのまま向かいの宝石店に入りあの子への指輪を買った。
会ったら今日きいた話をしよう。
きみが好きそうな話だもの。
そして一緒にきれいな光を作ろうって言うんだ。
ぼくらには見えたり見えなかったりする光。